メトロポリス

 

 
 忌々しい。まったく忌々しい。
メトロポリスのダウンタウンで、こうして齧る固いパンも、汚い長屋の向こうに立ち並ぶビル群も、俺を乞食のように見る上流階級者も。
全部だ。全部が忌々しい。
三日前のしおれた新聞紙を睨みながら、俺は想像する。
いつか、こんな暮らしから抜け出してやる。大金持ちになって、うまいものをたらふく食って、広い家に住み、高層ビルからダウンタウンを見下ろしてやる。そして俺を憐れんだり蔑んだりした奴を、みんな見返してやる。
しかし現実は、明日の食い物も覚束ない。
こうして心の炎を燃やすだけで、毎日は今日と何も変わらなかった。
新聞には、このS国の代表者である議長が撃たれたというニュースが載っていた。
けれど浅手で、生き延びたらしい。警察は犯人の行方を追っているそうだが、おそらく捕まらないだろう。犯人はテロリストだ。議長はもう何度も襲われている。
当然だ。こんなに饐えた毎日を俺に強要している人間なんて、ろくなものではない。
ダウンタウンで、議長や議会を良く言う人間は一人もいない。
戦争に次ぐ戦争で、みんな疲れきっているからだ。
ただし、上流階級者は別だ。彼らは徴兵されないし、生活が脅かされることもない。
国やこのメトリポリスを支えていく人間は、血みどろの戦いには無縁なのだ。
俺たちダウンタウンの人間は、戦争の駒のために、城下町で飼われているに過ぎない。
二度と戦地には行きたくなかった。
あの苦しさ、恐ろしさと比較するなら、固いパンを齧れるだけ、今に感謝する。
それでも、またいつ徴兵されるかわかったものではない。
 神様なんて信じないが、信じてどうにかなるのなら、いくらでも拝んでやりたい気持ちになる。
まったく、忌々しい。
 ダウンタウンの迷路のようにほつれた道は、折り重なった家々の合間にできている。
そこから、メトロポリスはすぐ真上だった。
お祭りのように昼間から花火が上がっているのが見える。
太った、人のいい顔をした人間が、それをなんでもないことのようにして歩き去っていく。
「いまに見てろ」
肩をすくめ、俺は太った男の後をつけた。
 
 路地裏に戻ると、男から盗った財布を確認する。
「これで今日明日はなんとかなる・・・」
壁にもたれて、金を握りしめる。
情けないのは、それでも飯の心配をしている俺自身だった。
ほっとした自分を殴り倒してやりたい気持ちに駆られるのは、いつものことだった。
なにか、もっと大きな出来事が欲しい。
こんなことを繰り返していては、何も変わらない。
財布なんかいくら盗んだって、目先の食い物に化けるだけじゃないか。
いっそ強盗でもしてみようか。それともコンピュータの漏えい情報を闇業者に売るという道もある。しかしどれもが危ない橋だ。みすみす捕まるような真似はしたくない。
そんなことを考えていたときだった。
ダウンタウンの路地に、身なりのいい男がうろうろと歩いているのが見えた。
俺はあたりを見回す。誰もあの男に気付いていなかった。
いったい奴は何をしているのだろう。
そして、いったいいくらくらい持っているのだろう。
そう思ったと同時に、俺は男に駆け寄っていた。
「やあ、探し物でも?」
男は俺に気付くと、体を固くして身構えた。歳は俺と同じくらいだろうか。背格好も同じくらいだ。取っ組み合いになって、負けるとは思わなかった。
「ちょっと迷ってしまってね」
男は汗をかいている。手の甲でそれをぬぐう時、左手首に痣が見えた。
「そうかい、ではメトロポリスまでご案内しましょう。旦那」
「いや、けっこうだ」
男は身を捩って来た道を引き返そうとする。俺は覆いかぶさるようにしてそれを制する。
「ここは危険ですよ。旦那のような金持ちが、おいそれとうろつくところじゃない」
「君のような奴が大勢いるということだろう」
俺は困ったように笑ってみる。が、内心腹が立った。こいつも、俺をそういう目で最初から見ていた。
「大丈夫だ、一人で帰れる。離したまえ」
ぎょっとした。男がしきりに汗をかきながら、俺の腹に固いものをあてたからだった。
銃を持っていやがる。
「・・・・ずいぶん不穏なものを持っているんだな」
「お互い様さ」
男はそう言うと、腹にあてた銃口ごと俺を突き飛ばした。かっと、頭に血が上るのが自分でもわかった。よろめいたが、しかし男から目をそらすことはしなかった。男はそのまま踵を返して逃げ去ろうとする。俺は駆け出した。男が振り返る前に、タックルをして押し倒す。
そのまま銃を取り上げて、遠くへ放った。
「このやろう」
どちらが言ったのか。地面に背中をつけた奴のほうが不利で、俺はがむしゃらに殴った。
いろんな苛立ちが、拳を突き動かした。が。
殺してしまうと面倒だ。
散々殴ったあと、不意に冷静な声が自分の中で聞こえた。
手を止めると、男がすっかり気を失っているのが分かった。
俺は興奮したまま、敗者の男を見下ろす。せいせいした。
地面に怠惰に伸びた男の、その顔は腫れ上がっていた。
なんとなく、その顔がどこか自分と似ているような気がした。
鬱屈した顔。不満が体中に満ちた顔。
気に入らない。何が不服だというのだろうか。きれいな服を着て、興味本位で貧しい者たちの穴倉に鼻先を突っ込んだ不用意な人間。
「馬鹿なやつ」
俺は男の上着から、財布と封筒を盗ると、悠々とその場を後にした。
勝利した喜びで、暗い炎が心臓で燃えたぎった。
 しばらく歩き、人通りの少ない路地で財布の中を見た。けっこうな金額を抜き取ると、あとは男のIDしか残らなかった。IDカードには男の顔と名前があった。
サウスド・コネリ。18歳。
俺と同じ年だ。顔写真は、カメラを睨みつけたような眼差しと、意思の強そうな口元が印象的だ。目鼻の感じが俺とよく似ている。俺の目は若干釣り目だから、すこし細工をすればこの男とそっくりになるような気がした。
一緒に盗った封筒を見る。中には受験票が入っていた。
「労働参加プログラムの受験票だ」
思わず口笛を吹く。労働参加プログラムは、貧しい者たちの職業斡旋とそのための職業育成プログラムだ。
議会を中心にして行われている制度で、ダウンタウンや辺境地から優秀な人材を確保するために行われている。ただし、この受験票は地域推薦がなければ手に入らない。
つまり、俺のような後ろめたい事の多い人間には、一生かかっても手に入らないチケットだった。
「すごいな。プラチナチケットだ」
なぜ、あんな身なりのいい男がこんなチケットを必要としていたのかは分からなかった。あれくらいの身分であれば、いくらだって好きな勉強をして、好きな仕事に就けるというのに。
試験の日程を見ると、明日の正午だった。
もしかしたら、俺にも運が向いてきたのかもしれない。
想像する。俺があの男のかわりにこのチケットを使ったら。知恵には自信がある。もしかしたら、この生活から抜け出せるチャンスがめぐってきたのかもしれない。
幸い、年恰好は似ている。いくらでも誤魔化せる。
幸運のチケットだ。神様に拝まなくても、こんな幸運を捕まえることができた。無駄にする手はない。
あとは俺の力で、なんとしてもみんなが目を見張るような仕事に就いてやる。そして大金を稼ぎ、あの高層ビルでの生活を手に入れてやる。
俺は、生まれ変われる。
その素晴らしい考えに、体が震えた。
 明日の正午まで、時間はたっぷりある。用意をしなくてはならない。
俺は奪った金で古着を買うと、すぐにダウンタウンの闇医者を訪ねた。
闇医者は酒場の顔なじみで、訪れるとすぐに請け負ってくれた。
「なあじいさん、俺の目をすこし垂れ目にさせて、頬をふっくらさせてほしいんだ」
闇医者はテント張りの小さな病院で、俺の顔をまじまじと見つめた。
「・・・・誰に似せたいんだ」
年寄りのカンだろうか。俺は奪ったIDカードを手渡す。
「言っておくがじいさん、俺がこの男に似せるように頼んだこと、誰にも口外無用だぜ」
闇医者は乾いた声で笑う。薄暗いテントの中で、背中の曲がった老人の声は、どこか不気味だった。
「こんな商売だ。そんなこと、言われるまでもない。が、ほんとうにいいんだな。この男になり代わって、後悔しないな」
俺は舌打ちする。
「いちいちうるさいじじいだな。俺がいいと言っているんだ。さっさとやってくれよ。金はあるんだ」
俺は紙幣を数枚、闇医者の膝に置いた。
「引き受けよう」
闇医者はにやりと笑った。アルコールランプに照らされたその顔は、亡者のようだった。
俺は清潔とはいいがたい診療台に寝そべり、梁の傷んだ天蓋を見つめる。
どこかで見たことがある風景だと思ったら、世話になった野戦病院に似ていたのだった。
「注射をするぞ。なに、この写真の男とお前さんは骨格がよく似ているから、そう難しい手術はせん。ちょっと詰め物をするだけだから、明日の朝には腫れは引くだろう」
「そうかい。まあよろしく頼むよ」
俺は胸を躍らせて、そのまま冷たい注射器の麻酔を受け入れた。
 
 
 労働参加プログラムの受験は、議会塔で行われた。
メトロポリスの中心に建つ白い塔は、S国の政治の中枢である。
大勢の若い人間が、正面玄関に吸い込まれていく。俺もその波に紛れ、金属のように硬質に光る門をくぐる。
ロビーは広大だった。空まで届きそうな高い天井は吹き抜けでガラス張り、床は鏡のようにどこまでも青空を映した。大きな柱が整然と並び、人間は蟻のように小さく見える。
受付は試験会場の前にあり、長い列をなしていた。音声アナウンスはこの試験の必要項目を何度も繰り返し流している。
「労働参加プログラムの試験は、知力・体力・愛国心をもとに行われます。したがって、これから諸君が試されるのは、その三つです。試験結果に基づいて、より高度な育成プログラムが与えられます。すなわち、知力・体力・愛国心のもっとも優秀な青少年が、より重要な職業に就く権利を得られます」
俺は静かにそのアナウンスを聞いていた。
つまり、知恵が働き、体が丈夫で、国に媚びることができる奴が、より好条件の仕事に就くことができるということだ。
好条件とは、収入や待遇のことだろう。
俺は、どんなことがあろうと、成功への階段を踏み外すつもりはなかった。どんなことでもしてやる。俺をこんなにした国や議長に媚びるのは反吐が出そうだが、この際仕方がない。
どんな我慢も、この魅力的なご馳走の前には些細なことに過ぎない。
 受験受付の長蛇の列に並びながら、俺は輝いた未来に叫びだしそうなほど、興奮した。
 
 今朝、麻酔から目覚めた俺は、さしたる苦痛もないまま、朝飯まで食った。
闇医者は出来に満足した様子で、鏡を見せてくれた。たしかに、少しの腫れはあるが、印象が穏やかになり、貧しい生活からこびりついた垢が落とされたような顔になっていた。
闇医者は新聞を読みながら、つまらなそうに笑う。
「それは思い違いだな。おまえさんの心持がかわっただけだ。わたしは単に顔をいじっただけだ」
「なんだっていいさ」
俺は鏡を見ながらほくそ笑む。
闇医者が読んでいる新聞にふと気をとられ、ちらりと見ると、議長の顔がデカデカと載っていた。
「いやな顔をしてやがる」
俺が毒づくと、老人は俺を見ずに言った。
「となりのK国もG連邦も、みんな戦争でこの国に取り込んだのはこの男だ。冷たい、非道な人間だが、おそろしく力はあるぞ」
「なんだよ、じいさんはこんな海賊みたいな男のファンなのかい」
鼻白んで言うと、老人は俺を振り返る。
「どんなに貧しくても、なんとか生きていけるのは、メトロポリスのお蔭なんだ。冬でも暖かく、凍える心配もないのは、莫大な金をつかって出来た地下暖房のお蔭だ。お前さんたちは、知らずにこの海賊のような議長の世話になっているということさ」
「・・・・やめろよ、つまらない話をするのは」
いったい何が言いたいのか。俺は段々苛ついてくる。
「つまらないかね。わたしはね、無神論者だ。だから、見たこともない神に何かを願うより、この男のような実力行使が一番信用できるのさ。信仰は自由さ。けれど、クジャラ党のように信仰を旗印にして、誰かを悪党にしてしまうのも、結局行き着くところは実力行使の戦いだ」
「クジャラ党って、あのテロリストか」
議長を狙うテロリストたちは、たしかクジャラ党の使徒だと名乗っていた。
「クジャラ教は元々、博愛と平等の精神で、貧しい者たちの中で浸透していった宗教だ。テロリストはその中の一握りの過激派だが、いまやクジャラ党というとテロリストと言われるくらい、悪いイメージになってしまった」
「ふん、俺は神様なんて信用していないからな。結局、何をするのだって自分の力しか信用できない性質なんだ」
老人は何がおかしいのか、いやなかすれ声で笑う。
「いいことを言うな。わたしもそう思う。自分の理念であっても、神の御心であろうとも、つまるところ手を下すのは人間なんだよ。しかし、その原動力たる物、信仰や理念は、誰が何を信じても自由なのさ」
「それで、じいさんは何を信じてるのさ。無神論者なんだろう。自分を信仰してるとでも言うのかい」
俺がからかうと、老人はメスを一本、漏れる太陽光にかざす。
「自分ほど信用できないものはない。だから、寂しくなれば神に祈るし、腹が減れば政治家を頼る」
「浮気性だな、あんた」
「だろう。だからこんな冴えない坊主相手にこんな仕事をしているんだ」
「面白いじいさんだな。けど、俺は議長のような人間にはならないぜ。じいさんのようには考えられないってのもあるし、俺の両親はあの戦争で死んだんだ。あれから俺の人生はおかしくなっちまったんだ」
「感情と、信仰や理念は違うものだ」
俺には、じいさんの言う意味がよく分からなかった。
だから、朝飯を食うとすぐにテントを出た。
朝日に照らされたじいさんのテントは、ひどく汚く、化石のように虚ろに見えた。
 
 「それでは次の方」
我に返った。受付の女が、俺を見上げている。俺は笑顔を作って、受験票を出す。
「IDもご一緒に」
心臓がドキンと大きく脈打った。もし、本物の男が昨日のうちに警察に訴えていたら、俺の希望もここで台無しになる。それは初めから分かっていた。が、運だめしはここからなのだ。動揺している素振りを見せないよう、落ち着いてIDを提出する。
女は顔写真と俺を見比べ、手元の書類に何か書きこむと、そのまま奥の試験会場に行くように言った。
俺はついている。昨日の男は訴えていないのか、それとも間に合わなかったのか、とにかく俺を捕まえる算段はなされていないようだ。
試験会場はこれまた広大で、遠くの端にいる人間の顔なんてとても判別できないほどに広い。そこにコンピュータと椅子がそれぞれ置かれ、正面には大きなスクリーンが設置されていた。俺は受験票に書かれた席を探す。それだけでも一苦労だ。
席は独立していて、隣とはわずかに間があいている。
受験者たちはそれぞれ席に着くと、一様に緊張した面持ちで正面のスクリーンを見つめていた。みんな、自分の将来がかかっている。生半可な気持ちじゃないのだろう。
だが、それは俺だって同じことだった。
 しばらくすると、またアナウンスが流れた。
「これより試験を開始します。コンピュータが起動しましたら、制限時間内に問題を解いてください。はじめ」
一斉に、キイボードを叩く音がする。俺もコンピュータを見つめた。
コンピュータの扱いには慣れている。どれだけ情報を盗ませてもらったかわからないほど、悪用させて頂いたからだ。
「第一問」
問題は、ほとんどが性格診断のようなものだった。
戦場で負傷した子供と兵士、程度の同じ怪我のどちらを先に助けるか。
俺は迷わず兵士と答える。議会が考える問題なら、答えは兵力の優先に違いない。
クジャラ党の旗。極彩色のこの旗を見て、どういう気持ちになるか。
メトロポリスの繁栄の歴史に貢献した、兵士に求められるものとは。
そんな問題が山のように、矢継ぎ早に出される。受験者は思考する間も与えらずに、どんどん答えていかなければならない。
小一時間をすぎるころ、すでに何百問も答えて集中力が落ち始めたのか、周囲から溜息がもれる。もしかしたら、追い詰められるだけのような出題に、疲れてきたのかもしれなかった。
 はっきり言うと、俺にはどうだっていい内容の問題ばかりだ。
考えること自体に利益がない。が、おもねられねばならない以上、俺の答えは暗示されている。
「終了します」
アナウンスが聞こえると、コンピュータの画面が暗転する。すると、俺のコンピュータ画面に「通過」の文字が現れた。
同時に、隣の席がグンと音を立てて床ごと下がっていった。座っていた受験者は驚いてコンピュータにしがみついている。
よく見ると、会場のそこかしこで、席が床に吸い込まれていく。
つまり、落第者はこうして会場から去らねばならないらしい。
「第二問」
再びコンピュータが起動した。ただし、今回は動画が流れていく。
上流階級者が花を、ダウンタウンの少女に手渡している。二人は手を結び、国の発展のために手を組もうと言っている。
次に、戦争の場面が映る。敵国の墜落した戦闘機のまわりで勝利を祝う子供たち。
さらに、家族に送り出され、笑顔で戦地に向かう父親の映像。
 なんなんだこれは。
次第に頭が痛くなってきた
馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
議会は本気でこんなものを信じているのだろうか。
上流階級者はダウンタウンの子供を蔑みこそすれ、何かを与えることなんてない。
戦闘機のまわりにあるのは、枯れた文明と大地だ。喜びなんてない。
父親が戦地に赴くその日、心から笑顔でいられる家族なんて俺は見たことがない。
 滑稽だ。いっそ笑い出したいくらいだった。
しかし画像はどんどん流れていく。
どれもこれも、目を覆いたくなるような、耳を疑いたくなるような、議会の理想郷だった。
そこに俺たち貧民の姿は描かれていない。
不意に、闇医者の言葉がよみがえった。
「信仰や理念は、誰が何を信じても自由なのさ」
ならば、それを押し付けるのも自由なのだろうか。
本当に、みんながこんな理想郷を信じていると思っているのだろうか。だとしたら、ずいぶん俺たちは見くびられている。
「終了します」
映像が途切れる。コンピュータに数値がいくつも表示された。
どうやら心拍数と血圧を測られていたらしい。俺は額にびっしりと汗をかいているのに気がついた。周囲の受験者たちは、俺より様子がおかしかった。真っ青になって震えている者もいれば、席を立つ者もいる。彼らの席は最初と同じく、すっと床に吸い込まれていった。
見渡せば、受験者の人数は著しく減っていた。会場はガランとして、寒々しい。
俺はどうやら通過したらしく、疲れ切った気持ちになった。
ほとんどの受験者はきっと、俺と近い境遇で育っている。あの映像を見させられて、平気でいられる人間のほうがどうかしている。
まるで我慢比べだ。
「第三問」
また憂鬱なアナウンスが聞こえた。いったい今は何時なのだろうか。
今度は正面のスクリーンに画像が映し出された。
ぼやけた人影が、次第にはっきりしていく。
映し出されたのは議長だった。
いかつい顔をした初老の男は、冷たい目をしていた。彼はその瞳と同じくらい冷やかな声で話しはじめる。
「諸君にこれから期待される職務について、出題する。諸君のなかには、これから医者になる者もいれば、政治に携わる者もいることだろう。これから一人ひとり、国に従事する人間として、この国に何が必要で、どうすればいいのか、またいらないものは何なのかを、答えてもらう。受験番号・・・・5番の君から、順に答えなさい」
会場がどよめく。この映像はライブで中継されているらしい。出題者は本物の議長のようだ。
全員が、指された5番の受験者を振り返る。俺は番号28番だ。もういくらも受験者は残っていない。何百人もいた受験者は、いまや全部で50人に満たないだろう。
俺の番はすぐにまわってくる。どう答えたものか。
5番の受験者は、二十歳くらいの青年だった。あからさまに動揺しているが、なんとか立ち上がって口を開く。
「僕が希望するのは、・・・・教師です。多くの子供たちがこれから国を支えるために、教養が必要だと考えるからで・・・・」
青年はたどたどしく喋る。が、本当に教師になりたいのだろう、子供のことを慮った内容の言葉を迷いながらつないでいく。
何をしたいか? 
俺はいったい、何になりたいのだろう。
そんなことを具体的に考えたこともなかった。
ただ、裕福な生活に憧れていた。泥沼のような毎日、人から何かを細々と盗む立場から、大きなところから多くを搾取する強者になりたかった。
 青年の言葉が終ると、議長は「次」と言うだけだった。青年の席は床に沈むことはなかったが、電池が切れたように青い顔をして席につく青年をみると、なんだかいたたまれない気持ちになった。
 きれいごとを並べても、議長が本気でダウンタウンの子供とメトロポリスの子供、平等に教育機関を設けるとは到底思えない。
この青年が何かを変えなければ、それは何も変わらない。
しくじった。こんな試験に意味なんて無かったんだ。
どう足掻いても、俺たちは変われないように出来ていたんだ。
「わたしが就きたいお仕事は、建築士です。これからますます発展していくメトロポリスを、もっと快適にさせ、諸外国の羨むような成長を促すことがわたしの理想で・・・」
次の受験者の女性が、甲高い声で訴えている。
あと数人で俺の番だ。俺は、うっすらと脳裏によぎった自分の考えに乗ってみることにした。
それはなかなかどうして、すばらしい案に思えた。
 決めた。俺が変えてみたいこと。
実際、こんなところで媚びを売っている自分にもウンザリしてきた。
自分で手を下す。結局はそうしなくちゃいけない。
今まで誰が俺を助けてくれた。誰が俺に手を差し伸べてくれた。
茶番には飽き飽きだ。このまま放りだして帰りたくなるのを、ぐっと我慢する。
最後に奴らにひと泡吹かせてやろう。
せっかく用意された舞台なのだ。思い切ってやってみよう。イタズラの花火は大きいほうが面白い。こんなもの、真面目にやっているやつが馬鹿をみるに決まっている。
「次」
どんどん順番が近づくにつれ、俺は大胆になっていく。こうと決めたら、妙に落ち着いてくる。
おかげで周囲の様子がよく見えるようになっていた。
いつの間にか試験会場に、受験者以外の人間が混じっていた。出入り口や、受験者席の後ろに、スーツを着た男たちが十数人も並んでいる。みんなサングラスをかけ、表情が読み取れない。
まるで要人警護のボディガードのようだ。
「次」
俺は笑顔で立ち上がる。背筋を伸ばし、思い切り息を吸った。
「・・・俺が、この国のメトロポリスに必要だと思うのは、新しい指導者です」
俺の声に、全員が静まり返った。
「メトロポリスってのは、植民地にはじめに入植した都市のことを言うそうだね。そうだよ、この大都市は人の国から奪った街さ。そんなことを繰り返しているから、俺たちはこんなことでもしないとろくな仕事につけない世の中になったんだ」
言ってやれ、と笑い転げる自分と、そんな自分に呆れている自分もいた。
せっかくうまくいきそうだったのに!ばかだな!冷静な自分の声が聞こえる。
が、かまうものか。
「この国が発展していくためには、こんな議長はいらない!議会も総取り換えだ!俺のなりたい職業はね、議会の議長になることだよ!」
俺がそう叫ぶと、後ろに控えていたスーツの男たちが飛びかかって来た。
「ほうら、言いたいことを言えば捕まってしまう!くそくらえだ」
言いながら出入り口を目指すが、逃げようにも人数が多すぎる。
ふと、違和感を覚える。なぜこんなに用意周到なのだろう。まるで始めから誰かを捕らえようとしていたかのようだ。
試験会場は騒然としていた。コンピュータテーブルはひっくり返り、受験者はあわてて壁沿いに避難し、スーツの男たちは俺に向かって突進してくる。
「なんだっていうんだよ。素直に思ったことを言うのが、罪になるとはね!」
俺は猿のように逃げ回りながら言う。すると、スクリーンの中の議長が鼻で笑った。
「なにがおかしいんだよ!」
「どんな言い訳をしても、逃げられんぞ。テロリストめ」
そう言うと、通信が途切れてスクリーンは真っ暗になった。
テロリスト?
議長になりたいと言ったことは、テロ行為に相当するというのだろうか。
俺は壁際に追い詰められ、数人の男たちに体を押さえこまれた。
「なんだよ、ここまですることないだろう!ただの冗談なのに!」
慌て、がむしゃらに暴れる俺を正面から押さえた男が言った。
「クジャラ党員、サウスド・コネリ、本名サンドロス・コーネル、君を逮捕する」
「なんだって」
俺の動きが止まった瞬間に、手首がずっしりと重くなった。信じられないことに、手錠をかけられた。
呆然とする。
なんだって。俺がクジャラ党?まさか。
「議長殺人未遂罪、傷害罪、容疑は固まっているんだ。労働参加プログラムを利用して議長に近づこうとする君の顔を、受付嬢はちゃんと見ていた」
男がジャケットの内ポケットから出した写真を見て、俺は言葉を失う。
それは、あの男の顔だった。俺が殴り倒し、金と受験票を奪った、あの男の顔だ。
そして、今の俺の顔でもある。
なんてことだ。俺の運は、最初から尽きていた。
こんなはずではなかった。ちょっとみんなを驚かせてやろうと思っただけなのだ。
「ま、待ってくれ。俺は本物じゃない。本物のコネリ、いやコーネルから、ここの受験票を奪って」
「ほう、窃盗の罪に切り替えるということかね」
男は聞いてくれない。
俺は知恵を絞る。なにかあるはずだ。俺が本物ではないという証拠が。
「あ!本物のコーネルには、左手首に痣があるんだ。見てくれよ、俺にはそんなもの無いだろう。な、本気じゃなかったんだ。見逃してくれよ」
俺の口に固いものが噛まされる。口が閉じず、唸り声しか出せなくなる。
男たちは俺を立たせると、一人が抑揚なく言った。
「俺たちは、コーネルというこの顔の男を捕まえに来たんだ。コーネルが捕まったというニュースが、とても大切なんだよ」
そんな馬鹿な話なんてない。そうだ、闇医者のじいさんを頼ることは出来ないだろうか。
しかし、あの老人は言ったのだ。
「この男になり代わって、後悔しないな」と。
始めから知っていたのだ。コーネルという男のことを。俺はまんまと自分から顔を変えてくれと頼んでしまった。
俺はなんて愚かなのだろう。
滑稽なのは、自分だった。
 
 
 
俺は幽閉された。知らないことを聞かれ、知らないと言えば恐ろしい目にあわされた。
心も体もすっかり疲弊するまで、そう長い時間はかからなかった。
どこで何を間違えたのだろう。しかし、どれもが間違いだらけだったような気もする。
全部が滑稽で安易だった。偽物と遊戯のサアカスだ。
子供だった俺の、考えなしのイタズラで、もうずいぶんと長い時間を、暗い塀の中で過ごした。
 あるとき、牢番の男がそっと俺に渡してくれた新聞に、コーネルの顔が載っていた。
議長が暗殺されたらしい。久しぶりに触れる世の中だった。
議長がいなくなり、政権が変わった。おかげで俺の刑期はずいぶんと短くなったという事だ。
喜ぶべきことなのだろうか。俺はコーネルの顔写真ばかり見つめ、牢番に声をかけた。
「なあ、この男、俺に似ているかい」
牢番は俺の顔をしげしげと見つめ、笑い出した。
「おまえさんもシャレてやがるな。英雄コーネルと似ているかだって?似ても似つかないさ!コーネルが議長になって、きっと暮らしやすくなるってみんな大喜びさ。クジャラ教は博愛と平等の精神だからな!」
「あんたも間が抜けてるなァ」
「なにか言ったか」
「いいや」
やっぱりだ。メトロポリスは植民地として最初に入植した都市を指すのだ。
ツケは必ずめぐってくる。
「新聞、ありがとう」
「もう出所だろう。少しは世の中のことを知っておいたほうがいいからな」
「わるいけど、そう変化もないみたいだよ」
証拠に、俺はなにも変わっていない。
 
明日の広い空に、救われる方法を考えてみる。
白い雲の合間に、かつての老人の言葉がよみがえった。
「自分ほど信用できないものはない。だから、寂しくなれば神に祈るし、腹が減れば政治家を頼る」
きっとあの老人は、かつてと変わらない虚ろなテントの中で、荒っぽい仕事をしているのだろう。
世の中より半歩ずれたところで居心地がいいと言うのは、傍観と諦観の隠れ蓑が暖かいからだ。まるでメトロポリスの地下暖房のように。
 
「そんなことばっかり言っているから、俺たちは救われないのかもしれねえなあ」
切り取られた空を見上げ、俺は俺のこれからを、やっと少し考え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

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